ヨーガの語源について
弥生時代が始まった頃、だいたい紀元前5世紀くらいに話されていたインドの昔の言葉「サンスクリット語」
このサンスクリット語で表記すると「yuj」
その「yuj」から派生して「yoga」という言葉になりました。
ヨーガの意味

馬を御する。
「yuj」は、「馬にくびきをかける」という意味の動詞です。
横に並んだ馬の首に、木の棒を引っ掛けたものを「くびき」といいます。
右に曲がったり、左に曲がったり、停止したりと、後ろで人間が手綱を引っ張り、馬の行き先をコントロールします。
じゃじゃ馬にくびきを掛けて動きをコントロールするように、心や身体を自分の思い通りにコントロールすること。
「新しいお洋服が欲しいな。」「チョコレートいっぱい食べたいな。」などなど
心に生じる様々な思いや欲望を制御するために行うのがヨガの練習です。
わたしって誰だろう?
お分かりの通り「くびき」とは手綱を操る人間と、馬をつなぐものです。
ヨガではこの「つながり」という言葉が大事なキーワードになります。
単純に考えて、何かをつなぐには、2つ以上のモノが必要です。
2つのモノとは、同じ性質を持っているかもしれないし、全く違う性質のものかもしれません。
その2つのモノが何かを知るためには、「Who am I ?」(わたしって誰だろう?)と考えていくプロセスが大切です。

who am I ?
例えば、料理人をやっているマイケルという男性がいたとします。
「あなたは男性ですか?」「あなたは料理人ですか?」「あなたはマイケルですか?」
こんな風に、自分に問いかけをしていきます。
男性というのは性別というカテゴリーにしかすぎないし、料理人は職業であってマイケルを構成しているものの一部でしかありません。
同じくマイケルは名前ですが、名前はマイケルそのものではありません。
ヨガは、「わたしはこれです!」という答えは教えてくれませんが、「これではない」ということを教えてくれます。
名前・職業・性別などが、「わたしではない」と認めて受け入れたとき、何が「本来の自分」で、何が「本来の自分を取り巻くモノ」なのかを知ることができます。
そして名前や職業と同じく、悲しくなったり、嬉しくなったり、感情さえも自分の持ち物にしかすぎないのだと理解できれば、モノを手放す(感情をコントロールする)ことができるので、パニックにならず心を落ち着けることができます。
ヨガは本来の自分を知る思考のプロセスであり、その過程には様々なメリットがあります。
ヨガが自己探求といわれる所以ですね。
最終的には、「本来の自分」アートマンが「大いなる存在」ブラフマンとつながること、
梵我一如(ぼんがいちにょ)がヨガのゴールともいえます。