感覚鈍麻の体温調節はむずかしい
6月から通い始めて、8月で約3ヶ月が経ちました。
もうあっという間に夏の終わりです。
週に一回の課外奉仕でお寺の清掃作業があるのですが、
外の暑さとクーラーの効いた室内での温度差にやられてお腹を壊しました。
原因は、冷房の効いた部屋で冷たいお茶をガブガブ飲んでいたからです。
「夏は脱水症状に気をつけないといけない」と意識しすぎて、限度を超えてしまったようです。
感覚鈍麻で体温調整が苦手なのですが「いい塩梅」がよく分かりません。
例年の夏は、脱水やクーラーをつけるタイミングが遅れる「暑さ」によって体調を崩しがちでしたが、
まさか「冷えすぎ」で体調不良になるとは思いませんでした。
冬はただ単純に暖かくしてれば間違い無いのですが、夏は外気や室温によって適宜着脱が必要なので、とてもややこしく感じます。
感覚鈍麻があると、自分は今暑いのか寒いのかよく分からなくなりますよね。
不登校・引きこもりという立派な選択
私は幼少期から小学校高学年まで場面緘黙があり、話せる場所や人が限られていました。
また、算数障害もありますが、小学校1年の時から算数を何も理解せずに進級し、高校受験をした経験があります。(受験は前期面接で合格しました)
算数や数学はただの苦手科目だからと塾で個別授業を受けていました。
ですが、算数障害は「障害」なので、どんなに努力して勉強しても成績はあまり伸びませんでした。
そんな私は、小学校1年生の時から「死にたい」と思い続けて、きちんといじめも受けてきました。
そりゃ、社会に対して不信感を抱く大人になりますよね。
不登校になったり、引きこもりになれば、大人が気づいてくれて、何かが変わったりしたのかな…
当時の私は、思考停止させて学校に行くことで精一杯、「休むという選択」は怖くて出来ませんでした。
だから、不登校だったり、引きこもりをして、その場から離れるという選択をした人は偉いなって思います。
コミュニティから抜けることって、すごく勇気がいることだよね。私は怖くて出来ませんでした。
療育について考えてみた
今でこそ発達障害の認知度が進み、療育や特別学級など適切な支援を受けられる場所があります。
だから、せめてあと10年遅く産まれていたら、こんなにこじらせていなかったのではないかなと悔しいのです。
明らかなコミュニケーション障害、学習障害があったのに、「おとなしい子」という風に片付けられて、適切な支援を受けずに大人になってしまいました。
通っている就労移行支援所には、運転免許取得中の10代の方が3名くらい通っています。
初めから障害者雇用で、就職先にも理解してもらえるように支援員が定期的にサポートしてくれます。
職場で失敗して、うつ病や適応障害になるというリスクがそれだけで減らせます。
幼い頃から福祉サポートに繋がって安全な環境で過ごし、二次障害が防げるということは本当にうらやましいなと思います。
大人になってから発達障害と診断されるメリット
あくまで私の場合ですが、「こんなにも人生がうまくいかないのはナゼだろう」と考えているところに診断が下りることで、
「なんだ、そういうことだったのか!」と腑に落ちて、すんなりと障害を受け入れられた気がします。
障害受容が進むと、障害について理解しようと調べたり、対策を考えたりと行動に移せます。
自分のことを受け入れる度量が、大人になってからの方があるのではないかと思いました。
今できることを全力でこなしていければ、きっと将来に繋がってくれるのではないかと思いを馳せつつ、毎日を過ごしています。